神田信助の頌徳碑

広島で葡萄栽培が始まった、竹原市竹原町の皆実新開、横島の北麓、旧神田葡萄園の一の割一号部と呼ばれていた場所に建てられている、先駆者である神田信助の碑

神田善太郎翁の頌徳碑

竹原市竹原町中須にある、竹原葡萄の発展に尽力した神田善太郎の碑

本神田邸葡萄酒醸造工場跡

竹原市に今も残る、大正10年から昭和3年まで稼働していた本神田邸のワイン工場跡。当時の竹原葡萄出荷組合長、神田善太郎が、大正8年から自己生産のブドウを原料に研究を始め、同10年から稼働していた。日本神田規那鐵葡萄酒、生葡萄酒、カメルスワイン、葡萄液、神田白赤ポートワインと銘じて販売した。売掛金の回収がうまくいかず、昭和3年に葡萄酒醸造は廃業。後の昭和10年代から、ワインの壽屋(現サントリー)の竹原工場誘致交渉を重ね、昭和15年3月、竹原町皆実1843番地で稼働が始まる。この竹原工場は、昭和32年の岡山県瀬戸工場への統合まで、17年間稼働した。また日本ワインの父と呼ばれる新潟の川上善兵衛も神田善太郎との交流により、昭和5年に竹原を視察に訪れている。